☆彡日常ブログ(本ページはプロモーションが含まれています)

大昔の教習所の思い出&車をぶつけた

教習所

車をぶつけました

1ヶ月ほど前に車をぶつけました 。その後バタバタ用事で忙しく、書くのが今になってしまいました。車をぶつけた話だけだとすぐ終わってしまうので、30年前の教習所の思い出話をメインに書きます。

2月~3月は、学生で教習所が混む季節です。あと混むのは大学生の夏休みの合宿免許でしょうか。

現在自動車教習所に通っていて、技能教習が辛くて辞めようかどうか悩んでいる人が読むと、踏みとどまれるかもしれません。

「補習がたくさんついても免許を取れるんだな」「免許を取ると多少なりとも役に立つことがあるんだな」と、精神的にラクになっていただけたらと思って書きます。

ぶつけるけど車は手放せません

25歳で免許を取得し、11年ペーパーで、地方に引っ越してきて乗り始めて18年です。

ぶつけた回数は、1台目(2年)で4回、2台目(14年)で2回、3台目(2年)で1回、合計7回となりました。

車が変わるとぶつけるので、まるでメモリアルイベントのようです。

2台目がけっこうぶつけずに頑張っていました。3台目はあと10年ぐらい乗ると思うのですが、1台目よりはぶつけない気がします(気がするだけですが)。

7回という数字だけ見ると多いですが、最初の2年で4回で、それ以降は5年に1回ですから、どんなに下手でも運転していれば多少は上手くなるということです。

決して運転は上手くないですが、現状は車を手放すのはつらいです。

今の生活圏で、自分一人で暮らすのであれば、電動自転車があれば生活できると思います。スーパーもコンビニも病院も役場も家からギリギリ徒歩圏内にあるし、ネットショッピングできる人間なので車を手放すことは可能です。

しかし、高齢の親と同居していたり、山奥に負動産があったりするので自家用車なしでは不便きわまりない

むしろ子どもが遠方に住んでいたりすると、親も諦めて行政に頼るし、自治体からの介護支援も手厚く受けられるので、自然と自家用車なしの生活にシフトしていくような気がします。

ですが、私が家を出ると、私が困窮するのでw、このまま親の運転手として居候します。

年に数回、山奥に行く時だけ往復100キロ運転しますが、普段は近所乗りしかしないこともあり、今のところは、ポールに当てた、塀に擦った、縁石にぶつけたといった、細かい自損ばかりなのが不幸中の幸いです。

修理に出そう

今回は、助手席側の後部のジャッキアップする場所のちょっと前方です。ドアではなくその下の敷居の部分です。サイドシルと呼ぶらしい。

車のへこみ

内輪差を知らないわけではないのです。知識としては持っているけど技能が伴っていないだけです。交差点は慎重なんですが、だいたいそういう場所は道の角が面取りされているので、自転車とバイクと歩行者に気が向いていても脱輪はしないものです。

ぶつけるのはたいていオーソドックスに(?)駐車場の入り口の縁石とか低い塀とかです。歩行者がいないか気になりすぎて、車まで気が回ってない。。

救いは、ぶつけたあとのブレーキを踏む早さが、ぶつける度に早くなっていることでしょうか。「早く止まらないと損傷範囲が広がって修理代が上がる」という恐怖だけは学習されていくようです。

今回の傷は下の方なので、目立つと言えば目立つし、目立たないといえば目立たない。ドアの開閉に問題が出る凹み方ではなく、走るのにも支障はなさそうですが、まだ3年目なので直すことにしました。

1台目は20万で買った黒色の中古車だったこともあり、ぶつけて凹んでも修理せず、塗装が剥げたところは黒マッキーで塗るという適当ぶり。2台目から新車になったので修理に出すようになりました

2台目に14年乗ったことを考えると、3台目のこれからも先は長いでしょう。今回の傷は地面に近いところなので、見た目はともかくサビが心配です。

というわけで、修理に出しました。修理代は3万円ちょっとで、3日で戻ってきました。過去の修理も3万円ぐらいだったので、低速でぶつけるとだいたいこれぐらいが相場らしい。

にしても、板金修理ってすごいですね。ぶつけたと言わなければわからない状態で戻ってくるもの(そりゃそうだw)

私の教習所生活はかなり悲惨でした

私の世代(50代)は、高卒~2年ぐらいの間に自動車免許を取るのが普通でしたので、同級生は1988年~90年で免許を取得しており、1995年になって免許を取った私は、「なぜ今頃?」と言われました。

当時は大阪に住んでいて、自分自身は必要だとは思ってなかったのですが、一人っ子なので、既に本籍地の田舎に引っ越していた両親の介護のことを想像し始めていて、車の免許を取っておいた方がいいのでは?と、急に思ったのです。

あと、写真付きの身分証明書が欲しかったのも免許を取ろうと思った理由でしたけど。

技能教習を落としまくりました

入学当時、私は「安心パック」を選択したのですが、何か絶対的な根拠があったわけではないです。学生時代、人より極端に運動神経が悪かったわけでもありませんが、何となく車の運転に向いてないような気がしたのです。

その何となくは見事に当たり、実際に教習所に通い始めると、自分が想像していた以上に向いてなかったです。しかし、40歳過ぎてから教習所に通うのはもっと地獄だったでしょうから、25歳で取っておいたのは正解だったと思います。

教習所に通ったことない人に向けて説明しておくと、「安心パック」とは、入所時に多めにお金を払っておくことで、技能の補習や再検定を無料で受けることができるプランです。
「入所時に」というところがポイントで、自分に補習がつくかどうかわからない時点で決めるのです。
途中で追加することはできないので、補習が多ければ安心パックをつけなかったことを後悔することになります。
また、返金はないので、補習がつかなければ割高分が無駄になります。

私は、受付の人に「20代の人はあまり選びませんけど」と失笑されましたが、「いや、絶対こっちで」と、安心パックをチョイスしました。グッジョブ私!割高の分なんて1段階で元取れた

今ならAT限定で取るのが普通なので、少しは補習時間が減るかもしれません。エンストしないし、坂道発進でバックしないし、シフト操作がないから落ち着いて交差点曲がれるし。

AT限定が始まったのが1991年だそうで、私が通い始めた1995年にはAT限定コースがすでにありました。教習原簿の色が違っていました。

私が通っていた教習所では、MTが白、ATが水色でした。この頃はまだMTの教習原簿を持っている人の方が圧倒的に多かったです。私も深く考えずにMTで申し込みました

しかし、1段階から雲行きは怪しく、教官には「1段階が終わったらATに変更できるからなんとか乗り切れ!」と言われました。

現行のカリキュラムは全部で2段階ですが、昔は4段階ありました。
昔の1~3段階≒現行の1段階(教習所内)で、昔の4段階≒現行の2段階(路上)です。(路上が昔10時間・現行17時間なので、教習全体時間が現行の方が7時間多いです)

昔の1段階は、基本操作と基本走行です。ここで補習がつくということは、発進も走行もままならない状態です。クラッチをつなげられずにエンストして発進できない、シフト操作が下手すぎてギアの上げ下げができない、真っすぐ走れない、カーブを曲がれない、クラッチ切ってもエンストする…みたいな。

謎のプライドでATに変更せず

最初の最初から絶望的で、教官からATに変更した方がいいと判断されていたにもかかわらず、「MTで申し込んだのにATにしたら負けのような気がする」という謎のプライドで、ATに変更しませんでした

そんな、ちょっと何言ってるかわかんない理由で変更しなかった自分にも驚きですが、本人以上に驚いたのは教官です。2段階で白い教習原簿を渡された教官は「え~!なんで!」と、のけぞっていました。

無理やりMTで押し切った結果、1段階から卒業検定まで、落とせるものはすべて落とし、教官に迷惑をかけ続けました。

教習原簿のハンコを押す欄が満杯になってきて、もうすぐ追加のハンコ用紙を貼られるところでしたが、寸前でクリアしました。

最終的に、補習は11時間つきました。ブラボー!

謎のプライドの出どころ

ダラダラ思い出話を書いていたら、私の当時の謎のプライドがどこからきていたのかがわかる記事を発見しました。

参考記事車の免許「AT限定」の人の割合は?

この記事によると、50代の74%はMTで免許を取っていますので、「同世代がみんなMTで取ってるから自分だけATは恥ずかしい」という気持ちが、私の心のどこかにあったのだと思います。

30代以下になるとATが64.1%となっているので、特にMTで取る理由がなければ「ATで取るのは普通のこと」になっているのですね。

そういえば、以前働いていた会社で、「AT限定なんですが、MTの免許が必要になったので限定解除に行きます」と言って休んだ若者がいました。「限定解除=ナナハン(大型バイク)」のイメージだったので、普通自動車免許で限定解除という響きが新鮮で、「自分が持ってる免許は限定解除なんだ」と、不思議な気がしました。

教習所にはウサギとカメの世界もある

私と同時期に入校した人が2人いました。2人とも女性でMTの教習原簿でした。

1人は社会人で、スポーツカーに乗りたいなど、MTに対する並々ならぬ憧れと熱い思いを語っていました。もう1人は大学生で、友人が取ったから自分も取ろうみたいなよくあるパターンだったと思います。

再びですが、昔の1~3段階≒現行の1段階で、昔の4段階≒現行の2段階です。現行カリキュラムの人は、1段階を3つに分けて想像してください。

ということで、

  • ① 運転センスゼロの20代の社会人.
  • ② MTに熱い思いを抱く20代の社会人
  • ③ 運転センスありの大学生

結果はどうなったでしょうか?

なんと②の人は第2段階からATに変更してしまいました 2段階に入ったある日、水色の教習原簿を持っている彼女を見て何かの間違いではと思いました。

理由を聞くと「しんどい。こんなに難しいと思わなかった。MTは向いていない」と。聞けば補習が1時間です。4時間も補習がついて、教官に「1段階でこんなに落とす人を見たことがない」と言わしめた私を前にして、よくもそんなこと言えたなと。「ATなんか車ではない」とまで言い切っていたのに、あの熱いMTへの思いは何だったのでしょう?私がまだエンストしながら教習所内をくるくる回っている時に彼女は卒業していきました。

そして③の人は期限切れで卒業できませんでした。1段階を余裕のよっちゃんでクリアしたあと来なくなり、私が4段階の時に久々に来たのですが、「このままでは期限切れになると受付で言われたので退所します」と。何か色々期限を延長できる手立てを説明されたけれど、退所することにしたのだと。

「学校忙しかったの?」と聞いてみると「そうでもなかったけどなんとなく」と。他に理由があって言いたくなかったのかもしれませんが、技能教習はほんとに余裕そうだったのでもったいないと思いました。もしかしたら、通学に向いてないタイプだったのかな? 大学生だし、そのあと合宿免許にでも行ったかもしれませんね。

結果、MTのまま卒業したのは、一番センスのなかった①の私だけでした。わからないものです。

卒検に合格した時、教官に「できるだけ乗らない方がいいけど、補習が多い人ほど大きい事故はしないから、乗るなら気をつけて」と言われました。「補習が多い人ほど大きい事故はしない」の根拠がデータとしてあるのか、その教官の経験値なのかはわかりませんけど、現状はその言いつけを守っている形になっています。

最後に免許センターでの本試験で、合格者として自分の番号が表示された時、「これでしばらく車を運転しなくて済む」と、すごい嬉しかったことを思い出しました。それだけ辛かったのによくぞ免許を取り切った!

そんなこんなで散々苦労して取ったMT免許ですが、今はもうMT車の運転の仕方そのものを完全に忘れました。もう発進もできません。謎のプライドは全く必要ありませんでした。

安心パック論争

ところで、掲示板で「安心パックだから補習が多くつく」という人と、「安心パックだから補習が少なくなる」という人で議論になっていました。前者は「遠慮なく補習をつけられるから」、後者は「儲けにならないから」が理由でしたが、結論は出ていませんでした。

私は、実際に教官に「お金かかると補習つけにくいけど、安心パックだから補習つけとく」と言われたことがあるので、前者だと思うのですが、昔と今では教習所の経営状況が全く違いますから、「儲けにならないから…」もありえるのかもしれません

あと、教習生が安心パックで申し込んでいるかどうかは事務的なことなので、教官が教習生の安心パックの有無を知ることができるかどうかは、教習所によるのではないかと。

そうなると、この論争に対する私の考えは、「教習所によって、どっちもありうる」です。

AT限定の時代だから逆に苦しい?

AT限定だと教習生はラクなのかなと思いきや、そうでもないらしい。

特に若者の落ち込み方が酷く、1時間補習がついただけでこの世の終わりみたいに嘆いている人がいたり、友達はほとんど補習がついていないのに自分だけたくさん補習がついて恥ずかしいと悩んでいる人がいたり、鬱状態になって教習所に行けなくなっている人がいたり、退所してしまった人がいたり、いつの時代も教習所はつらいんだなと。

私自身は、技能教習の中で唯一ストレスがなかったのが、カリキュラムに2時間ほど申し訳程度に組み込まれていたAT教習だったので、まさか今の若者がそんなに落ち込んでいるとはつゆ知らず。。

AT限定が主流になり、ほとんどの人が補習なしで終われる時代だからこそ、補習がついた人はショックと恥ずかしさで悩むのかなと。

MTが主流の頃は、補習がつくのは普通だったし、10時間以上補習がついている人もザラにいました

女性で免許を取る人がどんどん増えた時代ですが、「オバサンはハンコ追加用紙率が高い」と言われていました。40代ぐらいのATの教習原簿を持っている女性でも、ハンコ追加用紙を3枚ぐらい重ね貼りされてる人とかいました。

そう考えると、ATであろうがMTであろうが、補習がついても普通だった昔の方がよかったのかもしれません。

昔は教習生も強かった?

今も教官は厳しいのでしょうが、おそらく昔の教官の方が口は悪かったと思います。なんせ不適切な時代でしたから。たまに優しい紳士的な教官に当たるとホッとするという。

ただ、教習生も打たれ強かったので、「むかつく!あんなボロカス言う必要あるか?」とか怒りながら教習所生活を送っていました。

当時の若者(第二次ベビーブーム世代)は、子どもの頃から近所のおじさんに怒鳴られたり、教師に暴言を吐かれたりどつかれたり、運動部でしごかれたり、年上には逆らわないようにしつけられていたりで、口の悪い教官にキレ気味に注意されても、「免許を取るためには仕方あるまい」で耐えられる人が多かったのかもしれません。

辞めた人といえば、教官にキレて辞めた補習つきすぎてお金が尽きた教習所の期限が切れた、が多かったです。

つらすぎて辞めた人の話は少なかったです。噂よりは多くいたのかもしれませんが、SNSも掲示板もない時代なので、つらすぎて辞めた人は、ひっそりと辞めて本人がそれを発信することはないので、印象としては薄いです。

教習所あるあるでよく耳にしたのは、「教官にキレて辞めるのはだいたい中年のおっさん」でした。男性はプライドが高いので、会社の上司でもない同年代の教官に命令されたり罵声を浴びせられることに堪えきれないのだとか。そのあと「一発試験」を試みるも合格できるはずがなく、免許取得を諦めるか、別の教習所に再入学するか、無免で乗って捕まるというオチでした。

メンタル弱めな人へのアドバイス

今の若い子にアドバイスするとしたら、普段からすぐに自分と他人を比べて落ち込んでしまう性格なら、友達とつるまないことです。一緒に入校するのはいいとしても、その後の教習スケジュールは各自の自由にすることです。

一緒に進んだ方が色々と話せて楽しいとかあると思いますが、補習が多いと、友達と話せば話すほど、自分の方が下手だという事実をつきつけられることになり、苦痛になります。なぜ自分だけ出来ないのかと落ち込む弊害の方が大きいです。

同様の理由で、劣等感の強い人・他人と接するのが苦手な人・メンタルの弱い人は、合宿免許もやめましょう

みんな一緒だと、運転が下手だと目立ちます。慣れない土地で他人と過ごすストレスがあり、スケジュールが決められていて逃げ場がなく、補習が増えて性格的に誰にも相談できないとなれば、ホームシックが加速して、頭の中は「帰りたい」でいっぱいになります。

私が思うに、掲示板やSNSで、

「自分みたいな人間が教習所でやっていけるでしょうか」と相談している時点でもうメンタルが激弱です。いかに自分と他人を比べずに教習所生活を送れるか、いかに体調を崩さずに頑張れるかを考えましょう。

「安心パックをつけた方がいいでしょうか?」と書き込んでいる時点でもう安心パック決定です。こういうタイプの人は、パックをつけなければ、つけなかったことがプレッシャーになってミスして補習がつきます。

今の若い子に、「車の免許ぐらい根性で取れ」と言うとパワハラになってしまうので、私が言えるのはこれぐらいです。

ペーパードライバー教習も行きました

免許を取って11年後、親と同居し始めた時に、近所の教習所でペーパードライバー教習を4時間ほど受けましたもちろんATで

受付で「あっ、MTで取ったんですね!MTでやります?」と聞かれましたが、0.1秒で断りました。もうプライドは1ミリもありません。

教習所内での駐車の練習の時には、松の木が目印でした。昔「あの2番目のポールが見えたら」とか言われたのを思い出しました。11年経っても教え方が変わってないんだなと。路上に出てスーパーの駐車場で練習した時には、松の木が生えてなかったので大変でした

11年ぶりなので、30分ぐらいは教習所の中で練習してから路上に出るのかと思ったら、10分ぐらいで「もう出ましょう」と、わりと軽いノリで路上に出さされました。たぶん、教官が退屈だったんだと思いますw

ATはエンストしないので、そこは安心して運転してました。

運転技能の評価は、教官によってバラバラでした。年配の教官の方が厳しく、若い教官の方が優しかったです。若い教官はオバサンに気を使ってくれたのだろうと思います。

トラウマレベルに怒られながら免許を取ったので、若い教官に「全然大丈夫じゃないですか~上手いですよ」と言われると、ちょっと嬉しい気持ちもありながらも落ち着かなかったです。年配の教官に「今、見てなかったでしょ?もっとちゃんと安全確認しないと!」と言われる方が落ち着きました

さすがに免許を持っていると道端に止められて怒られることはなかったです(笑)

ということで、もうAT車しか乗れませんが、車であることには変わりはなく、人の命を奪ってしまう鉄の塊ですから、気を付けて運転しようと思います。

以上

コメント (4)
  1. KYO より:

    私が通っていたのも1995年です。(・∀・)人(・∀・)ナカーマ

    1. ぞん より:

      KYOさん、そうなんですね。ということは、安心パックがある教習所とない教習所があったということですね!
      今は、だいたいどの教習所のホームページを見ても「安心パックあります」と書いてるので、少ない子供を奪い合う武器になるという判断なのでしょうね。

  2. KYO より:

    友人の弟さんの話です。
    彼は高校卒業前、既に就職が決まっていた段階で教習所に通ったものの、免許が取れませんでした。就職先は酒屋さんで、免許必須だったにも関わらず、です。
    友人から聞いている彼の性格から想像するに、おそらく打たれ弱かったんだろうと思われます。
    幸い免許無しでも就職は取り消されなかったようですが、昭和の時代、一家に一台は車があるというのが普通という地方都市だったので、免許の無い男性は肩身が狭かったろうと思われます。

    私は金銭的な問題で学生時代には免許が取れなかった口ですが、結婚して地方に転居したらやはり車が必要になるだろうと思い、30を前にして免許を取りに行った口なので、似たような環境だったように思います。時期的にもちょうど同じころではなかろうかと。
    私は家の車がマニュアル車だったので、MTで取らざるを得ませんでした。仰る通り、ATなら補習受けずに済んだかも、と思います。
    若者以外は年齢分だけお金がかかる(30なら30万)と言われていた頃のことで、それだけは避けたいと、必死だったことを思い出しました。
    年齢が高くなるとお金がかかるというのは、今の自分のトロさ加減を見てもよく分かりますが、当時安心パックのような物は無く、補習イコールお金がかかるということで、必死になって頑張ったことだけはよく覚えています。

    1. ぞん より:

      KYOさん、コメントありがとうございます(^^)

      >若者以外は年齢分だけお金がかかる(30なら30万)と言われていた
      懐かしい~よく聞きましたそれ。昔ほどではないかもしれませんが今も言われているみたいです。時代が変わっても、補習つく人はつくしつかない人はつかないで、あまり変わらないのかも。

      安心パックについては、受付で「最近新しいコースができたんですが」みたいなことを言われた記憶があり、この最近という言葉が数ヶ月なのか数年なのかはわからないですが、私が通っていた1995年ぐらいが分岐点なのではないかと思います。なので私はラッキーだったのかなと。選択肢がなかった頃は「補習イコールお金がかかる」をモチベーションにするしかないですもんね…KYOさんよく頑張りました!

コメントを残す

いただいたコメントは承認後サイトに反映されます。また承認には数日かかる場合があります。

日本語が含まれない投稿は無視されますのでご注意ください。また、絵文字が含まれると無視されることがありますのでご注意ください(スパム対策)