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親の老いにしみじみする日々

親の老い

Last Updated on 2022年9月30日 by ぞん

今日のテーマは親の老いと介護

いつもは、何か買った~とか、何か始めた~とか、そんなことばかり書いているのですが、今回は、この2、3年を振り返って親の老いのことを書いてみよう。

別にすごく悩んでいるわけではありませんし、今すぐ心が壊れそうだということもありませんが、自分の気持ちを整理するためにも、介護状況を記しておくことにしました。

人は老いるもの

自分自身の老いについては、腰痛、肩こり、老眼、更年期障害、数え上げればキリがないけれど、「まぁこんなもんだよね」という感じです。今のところは。

私自身は、半年ほど前から激痛とともに左腕が上がらなくなりました。五十肩です。今は痛みもましになり、腕もまぁまぁ上がるようになってきました。

背が低い上に、腕が完全に上に上がらないとなかなか不便だということに気づきました。意識してませんでしたが、生活していくうえで、腕が上がる・腕が完全に伸ばせるということは大事だったんですね。

そんな自分の老いに追い打ちをかけるがごとく、親の老いが一気にやってきました。

ほとんど病気をしない両親でした。母は不死身かなというぐらいケガにも強く、風邪もひきませんでした。父も年齢のわりに若いといつも人に言われてご満悦でした。

しかし、母は2年半ほど前から少しずつ認知症の症状が出始め、父は1年半ほど前に大腿骨頸部骨折で手術入院しました。

「ついにきたか」という感じです。

父について

父はもう88歳で、男性の平均寿命を超えていますが、わりと元気です。入院中はちょっとボケたかもと心配しましたが、それなりに回復し、今は以前と同じように、テレビを見ながらエラそうに批評しています。

もともと父は “言うだけ番長”で、自分は頭が良くて物知りで、自分の言うことがすべて正しいと思っていて、なんなら自分以外の人間は全員アホだと見下していたりもするという、とても面倒くさい人です。

退院後は借りてきた猫のようにおとなしかったので、改心したのかと思いましたが、今はすっかり以前のように面倒くさいです。

それでも退院後は、「ありがとう」などという今まで聞いたことがないセリフを家族に吐くようになり、やはり人間、人生が終わりに近づいてくると何かが変わるのだなと思いました。

お金や保険などの管理をずっと母に任せていて、自分の通帳を見たこともなければ、どんな保険をかけられているのかも知らないという、恐ろしいほど無防備な父は、今は私に任せています。

年金を使い込まれたらどうしようとか全く考えずに、無職の子供に100%頼れるって、ある意味すごいなと思いますけど。。まぁ、これを使い込んだら家族全員が終わるので、使い込むことはないですけど。。

母について

父よりも10歳若い78歳の母は、今から5年ほど前、「お父さんがボケたら捨てる」と言っていました。年齢から考えれば先に向こうがボケるはずだと考えて当然でしょう。冗談も混ざってたと思いますが、たぶん7割ぐらい本気だったと思うw

父は典型的な昭和一桁生まれ男で、男尊女卑がはげしく、身の回りのことは何一つ自分で出来ないくせに、いつも母に偉そうに命令してましたから、長年の恨みがつのっての発言かと思いますが、残念ながら母の方が先にボケ始めるという結果に。

最近とくに、体力的に弱くなっているという自覚があるらしく、以前よりは父との会話が柔らかくなりました。風邪をひいて寝込んだ父を「気合が足りないからだ」と布団から叩き出していた母はもういません。

祖母も認知症だったので、風貌も性格も似ている母が同じようなことになる気はしていました。ただ、もう少し先だと思っていたのですが。。

認知症が遺伝する確率は数パーセントなので、医学的根拠でもなんでもないのですが、母がそうなると感じた理由が他にもあります。「自分は認知症にならない。なるわけない」と、言い切っていたことです。だいたいどんなことでも、「自分は大丈夫」と言う人ほど大丈夫じゃないのが世の中のお約束ですから。。

自分は大丈夫と思っているのだから、何か対策をするわけでもなく。。私の「NHKの体操やれば?」とか「町の体操教室行けば?」というオススメはいつも完全スルーされていました。

「親が認知症であれば、遺伝的に自分も認知症になる可能性がある」と、私なら考えるんですが、母は全く考えなかったようで。

今はまだ、自分から認知症だと言わなければ他人にはわからない程度ということもあり、もう2年以上も毎晩薬剤パッチ薬を貼っていますが、まだ自分の認知症を認めようとはしません。何かおかしいと薄々感じてはいても、それを認めるのが辛いのだと思います。

家の中ではヘンテコな妄想を言いまくっていますが、外では言っていないようです。妄想といっても母の中では真実なので、私に向かっては真剣に訴えてきますが、それが世間では通用しない内容であるという認識はまだあるらしい。

認知症を治す薬はない?

アデュカヌマブという薬が一時話題になり、ちょっと喜びましたが、効果がよくわからない上に高額とのことで、貧乏ファミリーには関係なさそう。

この薬って効いてる?

今のところ、進行を遅らせる貼り薬(リバスチグミン)を処方されていますが、正直、効き目があるんだかないんだか、よくわかりません。

話の時間軸が日に日にブレブレになっていってますし、昨日のことを覚えていなかったりすることもあり、短期記憶の衰えも少しずつ目立ってきましたので、たいして薬の効果がないような気もしますし、薬のおかげでこれぐらいの進行ですんでいるとも考えられますし。。。微妙です。

それから、漢方薬(抑肝散)も処方してもらっていて、妄想は相変わらずなのですが、気分を害してブチ切れる頻度は減ったので、多少は効果があるような気がしないでもない。

※ あくまでも私個人的な意見であり、うちの母の場合です。一例にすぎませんので、お医者さんに相談してください。

薬の進歩なくない?

認知症の貼り薬は、多くの人がかぶれるみたいです。なので、毎晩貼る場所を変えて、保湿泡スプレーもして、薬も塗って。。。

そもそも、毎日貼り続けないといけないのに、副作用でかぶれまくる薬ってどうなのよと。慣れるまでは嘔吐や下痢などの副作用もきついし。

皮膚炎がひどくでどうしようもないとか、一人で貼れないといった人には飲み薬のタイプを処方されるそうですが、これはこれで胃に負担がかかって大変らしい。

しかも、絶対に進行を遅らせられるというものでもない。認知症といっても個人によって原因も症状も違っていて差が大きいので、「たぶん効くんちゃうかな、知らんけど」状態で処方されている。

当人とその家族にしてみれば、「そりゃあ、治る薬よりも、治らないけど使い続けなきゃいけない薬の方が製薬会社は儲かるだろうよ」と、恨みのひとつも言いたくもなる。

新薬『レカネマブ』のニュースは嬉しいことですが、一般に処方されるまではまだ何年かかかるでしょうし、値段もどうなるかまだわかりません。

間に合いそうにない人は、なんとか現在処方されている薬で耐えるしかないわけで。。。

ちなみに、現在出ている治療薬は4種類とのこと。

参考記事認知症の治療(認知症臨床研究・治験ネットワーク)

最初に出たのが20年前、最近に出た薬でも10年前ですよ。なのに、いまだに”効果ははっきりせず&かぶれまくり&吐きまくり”って。。。

うちの母は貼り始めて2週間ほどで吐き気がおさまり、かぶれに関しては1年ぐらいでましになりました。身体が薬に慣れたこともあるでしょうが、副作用についてはどのメーカーの薬を使うかにもよるようです。

母の貼り薬はメーカーが3回変更になっています。こちらから変更してくれと言ったわけではないので、医薬品メーカーや医者や薬局の都合なのでしょうか?

追記:レカネマブ

2022年9月28日、「エーザイとバイオジェンが、アルツハイマー型認知症に対して開発中の新薬『レカネマブ』について、症状の悪化を抑制する効果が確認されたと発表した」というニュースが流れました。2022年度中に日本や欧米で承認申請をし、2023年中に承認の取得を目指すとのこと。

アルツハイマー型だけのデータだったり、27%の悪化抑制だったりで、認知症である当事者やその家族が全員手放しで喜べるという感じではないですが、一筋の光が見えた気はしました。

いつ処方が始まるのか、庶民が手にできる値段なのか…親には間に合わなくても自分には間に合うかも…とか、密かに期待しています。

薬剤パッチが剥がれる問題

薬剤パッチは、大きさや形、粘着力がメーカーによって違います。形はともかく、剥がれやすいのはかなり困ります。24時間貼っておくものなので。

高齢者は肌質が悪いのが普通かと思います。水分量が少なかったり、弾力性がなかったり。認知症の人は痩せていることが多く(筋肉量の関係らしい)、よけいにパッチがつきにくい。

うちの母も痩せていて、肌にハリがありません。そのうえ多汗なので、すぐに濡れて剥がれてしまうのです。

パッチを貼り始めた最初の3日間ほど、毎日剥がれてなくなっているので、嫌がって自分で剥がしているのではないかと疑いましたが、どうやら本人も知らないうちに剥がれるらしく、背中に貼ったはずなのに足の裏についてたこともありました。剥がれ落ちたものを踏んだんでしょう。

パッチだけではどうしても剥がれるので、「粘着包帯」を上から貼っていました。なかなか良かったのですが、夏だけは1日持ちませんでした。寝る前に貼ると、次の日のお昼ごろには剥がれて服の内側にくっついてましたので、そこで粘着包帯を貼り替えていました。

もっと何かいい方法ないのかということで、思いついたのが「防水フィルム」です。本来は、水仕事やお風呂の時などに、傷口を保護するために貼るものですが、水に強いということは汗をかいても剥がれにくいのではないかと思って試したところ、真夏でもパッチがその場にとどまるようになりました。。100%剥がれないわけではないですが、粘着包帯よりは断然持ちがいいです。

下の写真は近所のドラッグストアで買ったマツキヨブランドのものなので、上のリンクとメーカーが違いますけど、ほぼ同じものかと。

かかりつけ薬局で、薬剤パッチが剥がれるので上から別のテープ貼っているという報告をしましたが、「そうですか~」としか言われなかったので、効果に影響はないのでしょう。母も気に入っていますし、このまま防水フィルム作戦でいこうと思います。

認知症は几帳面な人ほど異変がわかりやすい?

あんなに整理整頓が得意だったのに「あれがないこれがない」が増える、あんなにいつも掃除していたのにしなくなる。。。一人暮らしで認知症になると、家の中がカオスになる理由がわかりました。

ちなみに私の部屋と机の周辺は常にカオスですが、これは正常です。超キレイ好きな母と超潔癖症の父の間に生まれた子どもが、なぜこのような”片付けるって何?”という人間になってしまうのか、遺伝子だけでは決まらないこともあるのが人間の不思議です。

私一人であれば、「掃除なんて、気が向いたらすればいいんじゃね?」「ホコリのかたまりが転がってきたらでいいんじゃね?」ぐらいなのですが、悲しいことに、父が超潔癖症ですので、私が掃除しないわけにはいかないので面倒くさいです。

とりあえずトイレは「ブルーレット置くだけ(黒ズミ防止)」を欠かさないようにしています。私のお気に入りは「アロマティックソープ」です(だから何?)

母の周辺症状が少しましになりました

中核症状(記憶など)に関しては日に日に怪しくなっている感じはしますが、周辺症状(気持ち・行動など)に関しては、認知症を発症した頃よりは少しだけましになっています。

買い物も料理も掃除も、発症した頃は全くしなくなり、私がほぼ全部やっていましたが、やる気が少し戻ったらしく、2年以上経った現在は、やってくれる日もあります。ですが、観察していると、やる気の問題ではなく、やれなくなってきてるんだなというのをひしひしと感じるので、もう戻らないんだというちょっとした絶望感はあります。

中核症状に関してはまだ「軽度」なので、周辺症状がある程度抑制できれば、普通に生活できます。定期的にとんでもない妄想を聞かされるのは辛いですが、2年前に比べたら減りました。

全体的に周辺症状が和らいだ一番の理由は、「私が家にいるから」でしょう。

発症した頃は、自分が色々と出来なくなってきていることへの不安が膨らみ、このままでは家もお金も誰かに奪われてしまうという妄想でおかしくなっていました。ですので、発症して半年ぐらいの間は、私が会社から帰ってくると、家中の収納から物をひっぱり出していて、泥棒に入られたようになっていました。

そして、待ってましたとばかりに、「あれがない、これがない」「これはうちのではない、誰かに別の物に入れ替えられている」と、私を相手に小一時間訴え続け、気持ちが収まったら片付けるという日々でした。

私が会社に行っている間、家に1人でいるのは不安だったのでしょう。(父はポンコツですから、母の中では人数にカウントされていません)

発症して半年後に私が会社を辞め、私がずっと家にいることで、気持ちが落ち着いたのだと思います。父が骨折してからも、私がいるので大丈夫という感じになっていますし。

あれだけ無職の人間を軽蔑していた母が、子どもが無職になることで救われるというのはなんとも皮肉なのですが、周辺症状は環境によってかなり変わるということは実感しました。

現在は、福祉センターでやっている、軽めの健康体操教室と、ちょっとハードな健康体操教室に、週1~2回通っています。国・自治体がやっている介護予防事業です。

きっかけは、お昼のNHKの体操です。真似できてなくて何か変なんです。片足立ちもほとんどできなくなっていました。2年前はもうちょっと出来てたのに、これはまずいぞと。母はもともと運動神経はいいほうだったので、認知症ってこんなことになるんだとビビりました。

高齢者ばかりの体操教室ですし、役場の担当者も体操の先生も母の病状を知ってくれていて、フォローしますと言ってくれたので行かせることにしました。

本人がついていけずに行くのがつらいと言い出したら、やめさせることも考えないといけないのですが、本人も片足立ちができなくなっていたことに危機感を抱いているので、なんとかなだめすかして続けさせることはできるだろうと思っています。

もう10年ぐらい前からこういう65歳以上の人のための体操教室は開催されていて、町の広報誌で見かける度に行くように勧めていたのですが、行かなかったんです。発症する前だったらもっとラクについていけたはずだし、発症せずにすんだかもしれないのにと。。。

今になって「もっと早くから行っとけばよかった。こんなのあるって知らんかったから」と、母に言われて、こっちはガックリきましたが、「今からでも遅くないって」と言い聞かせながら、せっせと車で送り迎えしています。

父の介護保険が切れます

母とは対照的に、必死で老化に抗おうとしている父は、年齢のわりにはしっかりしている方じゃないかなと思います。

「認知症になったら家族に見捨てられる」という危機感からか、毎日、NHKで放送されている体操をして、脳トレの本やって、ビール酵母を飲んで。。。

一応元気な父ですが、手根管症候群で病院通いしたり、大腿骨頸部骨折で入院したり。難聴が悪化して障害者手帳を取得したり。。。

金がかかる(医療費や福祉用具代、住宅改修)という点では父が母をぶっちぎっていますが、歩けるしトイレも行けるし着替えもできるし、私からすれば骨折前とたいして変わらず、入浴の見守りはちょっと大変ですけど、介護している感じはあまりないです。

骨折で寝たきりにならなかったのが不幸中の幸いでした。

ところで、父は昔からずっと「(私の運転が下手くそなので)絶対にお前の車にだけは乗らない」と言っていたのに、私が会社を辞めた途端に「病院の送り迎えしてくれ」などと言うようになっていました。急にどうしたのだろうと思っていたのですが、今から思えば、骨折して車を手放すフラグだったのではないかと。。

今は、介護保険を使って、リハビリのデイサービスに、週1回通っています。

しかし、思いのほか元気になってしまい、次回の更新では介護認定をもらえなくなりそうなので、ケアマネさんからの提案で、総合事業(介護予防・日常生活支援総合事業)という別のシステムでデイサービスを続けられるように手続きしてもらうことになりました。

※ 総合事業になると、住宅改修や福祉用具の貸与等は利用できなくなります。

以前は、要介護認定が非該当になってしまうとサービスも打ち切りになってしまったそうです。しかしそれでは、デイサービスを楽しみにしていた人ほどショックを受け、サービスを受ける以前よりも一気に老化が進んでしまうこともあったらしい。

介護認定が出るか出ないかのボーダーにいる人は多いため、その人達が介護になるのを食い止めようということで、介護保険制度が改訂されたそうです。

総合事業の場合は、本人の症状が再び悪化して要介護認定を希望しない限り、介護事業所(ケアマネさん)の聞き取りで更新することができるため、医師意見書をもらったり調査員の調査や審査が不要になるんだそう。

というわけで、私が走り回ってやっとのことで手に入れた父の要支援1は、わずか半年で終了します(世の中厳しい…)

せっかく苦労したのにとは思いますが、「家の階段に手すりをつける」という目的を果たしましたし、父はリハビリのデイサービスを続けることができるので、これでよしとします。

結局、元気に長生きしている間に制度が変わって、いい感じに続けてサービスを受けられる父は、なんだかんだでラッキーなのかもしれません。

因果応報

今まで、好き勝手に生き、一人っ子なのに結婚もせず、家を終わらせる私は、ご先祖様たちから恨まれ、こっぴどく怒られるのです。そりゃそうです、私にたどりつくまでにどれだけのご先祖様がいたことか。

今の状況は、家を断絶させることに対する贖罪の日々なのかなと思えなくはない。だからといって、なにも両親ダブルで弱らせなくてもよくない?とは思いますが。。。

介護生活はこれからどうなっていくのか?私の贖罪は何年必要?

とりあえず今は、気楽に考えていないとやってられないです。