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認知症の最後の砦はカップヌードル?

認知症とカップヌードル

カップヌードルは我が家の命綱

最初に断っておきますが、認知症とカップヌードルに関する科学的な話ではありません。個人的に認知症の親を見ていて感じたことを書いています。

カップヌードルに限らず、もともと我が家の食生活は昔からインスタントラーメンが多かったです。小学生の頃から我が家のメニューは、日清カップヌードル、チキンラーメン、エースコックのワンタンメンが定期的に回っています

母の料理は「みりん・酒・しょうゆで煮たら何でも食べられる」という信条が強すぎるのと、とにかく醤油をドバドバ入れるため、煮物も炒め物も、おそろしく黒かった(笑)

父が濃い味を好むのでそうなった可能性がありますが、子どもの頃の私には濃すぎたため、私は小学生の頃はあまりご飯を食べられず、インスタントラーメンとその他麺類と食パンとカレーで生きていたようなものでした。

中学生ぐらいからは私の舌が大人になったからなのか、単に成長期で食欲が勝っていたからなのかわかりませんが、母の料理も普通に食べられるようになりましたが、麺類と食パンとカレー好きは50歳超えた今でも変わりません。

ラーメンといえば、昨今の物価高で、もう大手ブランドのラーメンは高級品となってしまいました。スーパーやコンビニのPBラーメンを買うことが増えました

食パンもPBの100円前後のもの、レトルトカレーも知らないメーカーの3袋セットとか買っています。

今さら「食パン、菓子パン、麺類、マーガリンは認知症の元」などと言われても手遅れなので、あまり気にせず食べています。

インスタントラーメンが大好きですが、今は両親がいるので、夜は煮物、焼き物、揚げ物など、それなりに料理をします。もともと料理などしたことがないですが、母が認知症になってしまったので仕方なくやっています。

母は自分が料理が嫌いだったため、子どもに料理をさせようという気もなく、私も料理に興味がなく、社会人になってからは1人暮らしでコンビニライフだったため、まったく料理をしないまま半世紀を過ぎ、ここへきてまさかの料理です。

クラシルがあれば、料理をしたことない人間でもなんとか形になります。いい時代です。(クックパッドは料理が得意な人向けなので、ド素人の私には合いませんでした)

両親がいなくなったら、またインスタントラーメンとかコンビニ弁当に戻る気もしますが。。。今は宅食弁当サービスもあって、そっちの方が体に良さそうですね。

今は各社乱立状態ですが、私が利用するようになる頃には淘汰されてそうな気も…

認知症とインスタントラーメンの変遷

インスタントラーメンといっても色々あります。大きく分けると「袋とカップ」ですが、その中に、かやく、粉末スープ、液体スープ、香味油、香辛料など、ついているものがあります。

母を見ていると、たとえインスタントラーメンであっても、認知症の進行とともに、作れるものが減っていくんだなとわかります。

袋入りインスタントラーメンなら作れる

まず、普通に料理ができなくなってくると、簡単に出来上がるもの好むようになります。

カップ麺より袋入りの方がコスパがよく、昔から我が家は袋入りをストックしてきたため、いつからか、母がこればかり食べようとするようになりました。

かつて「ラーメンばっかり食べたら体に悪い」と私に口やかましく注意していたのにです。

袋入りラーメンの場合、付属物はせいぜいスープぐらいなので、迷わず作っていました。

袋入りインスタントラーメンが作れなくなる

ある日「カップ麺はないのか」と怒り出すようになりました。

お湯をわかすのが面倒なのかと思いましたが、どうやらそうではないらしい。

正しい分量の水を鍋に入れて、お湯をわかして、麺を入れて、時間がきたらスープを入れるという手順がわからなくなってきた模様。

母にとっては、袋入りのインスタントラーメンを作るより、冷凍ご飯を電子レンジに入れて「あたため」のボタンを押す方がはるかに簡単なのです。

カップ麺を切らしている時に、母の怒りをおさめるために、前の日に炊いたご飯の残りは必ず冷凍してあります。

カップ麺なら作れる

カップ麺は、お湯の分量をさほど気にすることがなく、麺を入れるタイミングや、麺をゆでる時間を気にする必要もない。かやくとスープを入れて、ポットのお湯をカップの上の方まで適当に入れて蓋をして、適当な時間待てば食べられます。分量や時間の概念がなくなってくると、適当に作れることが大事になってきます。

母なりに、私に昼食まで作らせるのは悪いと思っているらしく、カップ麺なら自分でも作れるし、私に作らせても罪悪感がないのか、やたら「お昼はカップ麺でいい」と言う。

が、高齢の父が、ラーメンばかりだとお腹を壊すのでw、毎日というわけにはいかない。

付属物が複雑なカップ麺が作れなくなる

カップ麺の中には、付属物が多く、しかも、先にこれを入れろだの食べる直前に入れろだの、やたらタイミングがうるさいタイプがあります。

最初の頃は、「これは先、これはあと」などと分けられていましたが、だんだん困るようになってきました。

ざっくりと「粉は先、液体は後」と教え込んでいましたが、だんだん「わからない、面倒くさい」と言うようになってきました。

解決策は比較的簡単で、「値段が高めのカップ麺は買わない」ことです。値段が上がるほど付属物が多く複雑になるので。

我が家の経済的に200円超えるカップ麺は贅沢すぎて基本的には買わないですけど、どうしても食べたい時は、私一人用ということで買います。

いきつくところはカップヌードル

一周回ってノーマルなカップヌードルです。今は、PBカップヌードルがいっぱい売られているので助かりますが、本家を食べると、なんかやっぱり本家はおいしいよな~と思ってしまいます。

どんなに色々なカップ麺食べていも、定期的に「ふつう味のカップヌードルが食べたい」となります。私のふるさと?

気持ちばかし健康に気をつけてPROにしてみたり…

なにはともあれ、結局、昭和の「湯を入れるだけのカップ麺」に戻ってきました。母が一番喜んで作るのはこのタイプです。

付属物のゴミが出ないのは後始末がラクでいいなと、いまさらながら思います。

カップヌードルは手続き記憶(たぶん)

ところで、記憶には「長期記憶」と「短期記憶」がありますが、長期記憶の一種で「手続き記憶」というのがあります。簡単に言うと、身体が覚えているものです。楽器とか車の運転とかがよく例に出てきます。

大学の頃、クラスに「人生で一度も袋ラーメンもカップ麺も食べたことがない」という子がいました。母親が「インスタントラーメンは身体に悪いから絶対に食べさせない」という方針だったらしい。

そんな人が世の中にいるんだとびっくりしましたが、我が家は違います。浅間山荘事件の頃からカップ麺や袋ラーメンを主食のように食べています。

私が家を出て一人暮らしをしている間、親も食べていたはずです。だから、母はやたら「カップ麺ないんか?」というのです。

もしや、カップ麺を作る作業は手続き記憶になっているのでは?コンロで湯をわかす、ポットに水を入れてわかすは、基本動作として身体が覚えているのでは?

もしそうなら、母はこれからもカップヌードルを1人で食べられるのではないか?と。

スーパーマーケットのレジがセルフやセミセルフになってしまい、認知症が軽度~中程度であってもスーパーで買い物ができない世の中になってしまいましたが、対面のコンビニなら、軽度認知症でも買い物ができます

本家カップヌードルやPBカップヌードルは、必ずコンビニに置いています。重度認知症で迷子になってコンビニに行けなくなるまではカップヌードルが食べられるはず!

そう、

カップヌードルは手続き記憶(たぶん)なので、認知症になってもわりと長い間大丈夫!(にちがいない)

宅食弁当サービスを利用できるなら、料理ができなくなってもラーメンにこだわらなくてもいいんですけど。

私自身がインスタントラーメンが好きなので、こんな極論でブログを締めくくってしまいました。

以上

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