目次
親の介護が5年経過しました。と同時に私の引きこもり生活も5年です。気分的には引きこもっている気がしないのですが、国がそう言うので…
弱ってはきたけれどまだ元気そうな父と、軽度認知障害からアルツハイマー型認知症へ移行した母と暮らしていて、今まで観察したことや思ったこと、現在の様子などをつらつらとメモしておきます。
ちなみに私自身については何も出来ないまま、ただ時間だけが過ぎました。当初は空き時間は自分のことに使ったりしていましたが、気が付けば何もできなくなっていました。
理由は単純に両親の高齢化で忙しくなったからです。内科、耳鼻科、眼科、歯医者、整形外科、総合病院…やたら病院に行ってます。週3日デイサービスで、残りは病院の予定で埋まり、確実に親の予定がないのは日曜ぐらいです。
また、どんなに気をつけていても、ちょっとした気温差で体調を崩すので、その際には一睡もできません。
しかし、もっとも辛かったのは、母の認知症の悪化が思いのほか早かったことです。せん妄や妄想の相手で時間が奪われるのはもちろんですが、気力が奪われて何もする気が起きません。
私自身これといって人より秀でたものがあるわけでなし、時間をやりくりして何かをやり遂げる器量があるわけでもなし、預金もさほどなし…ということで、親が介護に突入した時点で一人っ子の私の人生が詰むのは既定路線であり、こうなる覚悟もしていましたので、今のところはまだ耐えられています。
ですが、ほんとにしんどくなるのはこれからだろうなと思っています。普通に老いていく父を見ても特になんとも思わないですが、認知症で老いていく母を見ていると、今後かなりヤバいことになるのだろうなと戦々恐々です。
母がMCI(軽度認知障害)と診断されたのは5年前で、今は認知症の初期~中期という診断です。
認知症関連のネットサイトや市販本を見ると、だいたい「MCIをそのまま放置すると5年後には5割の人が認知症を発症する」や「MCIの時点で対策をすると元に戻る人もいる」などと書かれています。
5年前から医療機関にかかって薬を貼ったり飲んだり、体操教室に行ったりしましたが、現在認知症の診断が出ていますので、普通に5割の中に入っています。
今から思えば、5年よりももっと前から母はMCIだったような気がします。もともと若い頃から母は被害妄想があったので、コロナ禍のストレスで症状が爆発するまで単なる老化だろうと思っていました。
これは認知症だと気づいて病院につれていって投薬を始めたり、体操教室に行かせたり、現在もデイサービスに行かせていますが、正直、効果があるんだかないんだか…です。
認知症を悪化させないためには、炊事、洗濯、掃除、ゴミ出し、買い物、お金の管理など、脳を使ってすることを周囲が奪ってはいけないとよく聞くので、できるだけやってもらうようにはしていたのですが、ほとんどやってくれなくなりました。
得意だった裁縫もできなくなってきました。ですが、母にとって裁縫は人生そのものなので、できないなんてことがあっていいわけがなく、やろうとします。結果、母が直そうとしてほどいたまま放置された服がどんどん増えています。母の服はたくさんあるので減ってもいいとして、父の服は少ないので、ほどかれてしまうと着られる服がどんどん減ってしまうので困るのですが…
現在できるのは、洗濯、炊飯、パンをトーストする、カップ麺やインスタントコーヒーにポットの湯を注ぐといった、家電のボタンを押すとほぼ完結することだけのようです。
同居の弊害だと思います。最初は「やってくれる人がいるのだから自分はやらずにラクしたい」と拒否していたら、気づけばいつの間にか「やらない」から「やれない」になっていたのだと思います。
やれなくなっていることを認めたくないので「アンタがやるから私はやらないだけ」と、今でも言います。しかし、私がやると不機嫌になります。
ケアマネさんいわく「もとからの親子関係が影響することがあって、支配型の親の場合、子どもが何歳になろうとも自分の支配下にあるべきという認識なので、周囲の自分に対する態度から、すでに子どもと序列が逆になっているということに気付いていても、その現実が受け入れられずに混乱する」のだとか。
思い当たることは多々あります。そういや子どもの頃から、やることなすこと否定しかされてこなかったなと。なんなら今でも否定されています。支配したい気持ちはずっと残っているのだと思います。
序列の逆転は、私の能力が上がったわけではなく、母の自滅です。私自身は昔も今もポンコツ2号のままで何も変わっていません(ちなみにポンコツ1号は父)。
私が望んだことではないので不機嫌になられてもとばっちりですが、誰もやらなければ家が回らないので、私がするしかありません。
母は、高血圧と高脂血症の薬を飲んでいます。
デイサービスに行く前に血圧と体温を測って用紙に記入しないといけないのですが、「それにしても血圧がが高すぎないか?」ということが続いたことがありました。
家の外では緊張のあまり血圧が200超えるということは母のあるあるですが、家で測ると140~150でおさまっているのが通常です。なのに、ある時期、家の中でも180~200ぐらい出るようになっていました。
運動系のデイサービスのため160超えると行かせられないので、デイサービスの日は、朝から安静にさせて深呼吸させたりふくらはぎを叩いたり何度も測り直して、なんとか150台までに抑えて行かせていました。
しかし何かがおかしいと思い、母の薬を確認したところ、大量に余っていました。
それまで、病院から薬をもらってくると、自分で曜日ごとに分かれているピルケースにせっせと薬を分けて、忘れずに飲んでいました。食事後に薬を飲んでいたので、てっきり全部飲めていると思っていたのですが、飲めている薬と飲めていない薬がありました。
当然、別の薬との数が合わないので、どこへ行ってしまったんだ?と探すと、薬を入れたことがない引き出しの中に、もらってきた袋ごと余っているのが見つかり、慌てて病院で申告して数を減らしてもらって調整しました。
余っていた量から察すると、3ヶ月ぐらいは怪しかったのではないかと。。
これはまずいと思い、私が薬をピルケースに分けて、それらの薬が飲まれているかを毎日確認することにしました。
ケアマネさんの月一回の訪問時、母は「薬はちゃんと自分でケースに分けて忘れずに飲めている」と、いつも自慢げに答えていたのですが、それもできなくなってしまいました。
母は今年に入ってから週2回の体操教室に行かなくなってしまい、今はリハビリ型デイサービスが週1回という状態です。
本当は、最低週2回は外出してくれる方が、母の健康のためにも私が家の用事を済ませるためにもいいのですが、ダダこねまくりで、なだめすかして行かせるのに毎週が戦いです。ケアマネさんとも相談のうえ、無理強いはよくないということで週1回です。
最近特に気になるのは「寝すぎ」です。「傾眠傾向(意識障害)」というのだそう。夜に寝ないのであれば「昼夜逆転」なのですが、夜も寝ているので24時間ずっと浅い眠りなのでしょう。
デイサービス、食事、トイレ、お風呂…の時ぐらいしかまともに起きていないような気がします。当然ですが足腰が弱ってきています。
主治医の先生には「薬を変えるとか追加するという手もありますので、よく観察しておいてください」と言われています。
思えば、週2回の体操教室に行かなくなってから一気に症状が進んだような気がします。運動は身体だけでなく脳も使います。週3回の筋トレが週1回になり、身体も脳も使わずに寝てばかりいれば、一気に転げ落ちてもしまうのは当然です。
本人的にはまだ家事や庭の草むしりなどをバリバリやっているイメージなので、「家の事でずっと身体を動かしているのだから、わざわざ別で運動なんかする必要がない」と主張します。「することはいくらでもあって忙しいのに、寝てるヒマなんかない」と言いますが、実際にはずっと寝ています。
叩き起こして無理やり運動させるのも良くないし、買い物に出かけようと誘ってみても反応がないか、どこにも行きたくないと逆ギレしたりします。
ご飯食べさせたり、持ち物を準備してやらないといけないけれど、楽しげに週2回デイサービスに行ってくれる父の方がよほどありがたいです。父の方が10歳も年上ですが、私の介護ストレスは圧倒的に父の方が低い。
楽しい老後を過ごせるかどうかは、認知症を避けられるかどうかで決まるのだなととつくづく思います。
軽度認知障害の頃からすでに症状として出ていて、もう5年なので日常になりすぎていますが、せん妄と妄想は、毎日相手をしていると、ボディーブローのように効いてきます。
ちなみに、我が家にある家電はすべて盗まれ、今ある家電は盗んだ誰かが代わりに置いていったものということになっています。
普段の言動からもうここ15年ぐらいの記憶は抜けてるなと感じることが多く、今の家電に買い替えた頃の記憶はもうほとんどないようです。家電の特徴を確認すると、今あるものよりも前の機種が母にとっての最新機種だったりします。
また、今の機種の記憶がギリギリ残っていても、新品のイメージしかないので、経年劣化で黄ばんでいる目の前にあるコレは誰かが置いていったもの。きれいなものを盗んで汚いものを置いていったとなるのです。
認知症は新しい記憶から失われていくので教科書通りですが、母の場合「物盗られ妄想」の別バージョンの「物取り替えられ妄想」であるところがやっかいです。
「物盗られ妄想」であれば、物が見つかれば一旦落ち着くか、見つからなくても明日一緒に探そうとか明日警察に来てもらおうなどと言ってそのまま忘れてもらうことができますが、
「物取り替えられ妄想」は、本人にとっての偽物がいつ見てもずっとそこにあるため、忘れてもすぐに思い出してしまいます。発作的に思い出しては「これはうちのじゃない」と言い出します。
否定してはいけないと思い「せやなぁ」と答えれば「誰かがこの家を乗っ取ろうとしてるのになぜアンタはそんなに危機感がないのか!」と、物騒な勢いでドヤされる。
だからといって「ずっとこれやけど」と答えても、「なぜ取り替えられたことに気づかんの?アンタはアホか!情けない!」と、ディスられながらドヤされる。
肯定しても否定しても結局ドヤされます。
教科書的には「認知症の人の言うことは決して否定せずに寄り添わないといけません」となっていますが、すべて真面目に寄り添っていたらこっちのメンタルが完全にやられてしまう。
そんな母でも昔のことはよく覚えているので、本人はいまだに「自分が認知症のはずがない」と思っています。同じ昔話をもう100回以上聞かされています。
父は「ザ・昭和のポンコツ男」です。上げ膳据え膳で、何もかも母にやってもらっていました。した。食事はもちろん、母に衣服をオーダーメイドばりに直してもらい、下着や服を毎日用意してもらい、フォーマルの服は着るのを手伝ってもらい…どこぞの大金持ちか?昭和の大スターか?殿様か?と。
しかし、私は母ほど親切ではないので適当に放置していたら、自分で下着や服を探すようになりました。風邪をひかれると困るのでフォローはしますが、母みたいに何もかも世話をやくことはしません。
問題は服の直しです。私は全くできないので。父は身長が142センチしかないうえに手足が短いので、父の体型に合う既製服はこの世に存在しません。今までずっと母に直してもらった服を着てきたので、既製品をそのまま着るということを知りません。世の中の人はだいたい自分に合う服を妥協して着ているのだということをこれから学んでもらうしかないです。
料理はさすがにしろとは言えないので、私がやっています。でないと、父だけでなく母もパンとお菓子しか食べられないので。
それでも、朝、父が自分で食パンを出して食べるようになったのは進歩です。トーストの仕方がわからないので生で食べているようですが。
母はまだパンをトーストすることができるので、父と同じ時間に起きた時は父の分もトーストしてあげているようです。
私は、母にしか見えない夜中の侵入者を見張らなければならず、寝るのが明け方なので、2人の朝食事情は知ったこっちゃありません。全く自分で物を食べられない状況になったら考えますけど、今は「パン食べといて」で済ませています。
父はお金に関しても母に任せっきりでした。銀行の窓口やATMでお金をおろしたこともないし、自分名義の通帳を見たこともありません。毎月5千円お小遣いをもらっていました。人付き合いが嫌いで、会社の往復と休日に本屋に行くぐらいしか家から出ない人だったので、その金額でも平気だったようです。
自分の小遣いが少なかったせいか、自分の預金はかなり残っていて結構なお金持ちだと思い込んでいますが、そんなわけない。昔も今も我が家の生活はほぼ全部父の口座でまかなわれているのですから。
日本の企業の99%は中小企業です。そこで普通に働いて普通に生活していた家にそんなに老後資金が残っているなら、老後2千万円問題で世の中がこんなに大騒ぎになったりしません。選挙のたびに与党が高齢者にお金をばら撒いたりもしません。
父がもし自分の通帳を見たら、残高の少なさにショックを受けると思うので、見ないまま死ぬ方がいいと思います(笑)
にしても、夫婦とはいえ自分のお金の管理で赤の他人をこれだけ信用できるのがすごい。昭和の老夫婦はどこもこんな感じなのでしょうか?
今はお金の管理は私に一任されています。子どもであっても絶対にお金のことは話さないとか、財産の話が出たら激怒するという親も多い中、いともあっさりと私に引き継がれました。
私の散財気質を知っていて且つお金への執着心が強い母なので、絶対に抵抗すると思っていましたが、意外としませんでした。
おそらく、父が私に「お金はお前が全部管理しろ」と言ったからです。そこは「夫に尽くす昭和の妻」という面が出たようで、「お父さんがそう言うなら、その方がいいのだろう」ということで納得したのだと思います。
母は要介護1ですが、寝たきりというわけではなく、普通に会話もできるし自分で動けるし、たまに失敗はあれどトイレも普通に自分でしています。しかし、ふと見ると部屋の床に黒茶色いブツが落ちていることがあるのはビビります。家の中でも日々緊張感を持って歩かねばなりません。
父は要支援1から外れて事業所扱いになっているぐらいなので、母に比べると元気で、トイレの失敗はめったにしませんが、やらかす時は派手です。特に、熱を出したり体調を崩すと排尿が怪しくなります。尿が一滴も便器に入らなかったのかと思うほど尿浸しにしてくれます。
うちのトイレの床はビニールなので、水分が沁み込まずニオイもつきにくいだろうと思いますが、さすがに尿浸しを連続でやられると心配になります。
1ヶ月前ぐらいにド派手に尿浸しをやられて以来、使い捨てのトイレマットを置いてみています。床にペタッと貼りつくやつです。ただこれが衛生的にいいのかどうかは微妙だなと思っていて、今後やめるかもしれません。毎日交換すれば衛生的でしょうけど、そうするとコスパが悪すぎます。
日常的な飛び散りぐらいならトイレマットもいいかなと思いますが、ド派手にやらかすことが続くようであれば、尿を固めて処理する方向に作戦を変更します。
2人ともトイレの失敗は頻繁ではないとはいえ、失敗があれば片付けるのは私なので、お掃除グッズを用意しています。
バケツは蓋つきの9Lです。うちにはちょっと大きすぎるかとも思いましたが、使わない時はお掃除グッズを放り込んでおきたかったので。使い捨てチリトリは入らないですけど、これは仕方ない…
私は子どもの頃から鼻づまりなのに、なぜかニオイには敏感なので、トイレの消臭グッズも必須です。香りの強い消臭剤は苦手なので、基本は無香か微香です。どうやら鼻づまりとニオイを感じる能力は別物らしい。
特にこだわりがあるわけではないのですが、なんとなく、置き型消臭剤はトイレファブリーズ、消臭スプレーは消臭力です。ただ、我が家のトイレ環境が悪いらしく、ファブリーズの減りが異様に早いので、他のに変えようかなと最近思っています。
ここ数年続けて買っている消臭スプレーは「トイレの消臭力スプレー ウイルス除去プラス 無香性」です。無香であることと、ミストがふんわり出るところが気に入っています。
消臭も大事ですが、除菌も大事だろうということで、除菌スプレーも。
私は、便や尿そのものの処理をするのは平気なのですが(自分の親であればですけど)、便臭・尿臭・オムツ臭・汗臭などのニオイは結構なストレスなので、少しでも回避しようと必死です。
個人的にこれは強力かもと思ったのは、「消臭家族 おしっこ・うんち専用」です。バイオでニオイの元を分解するということで、ニオイ戻りしにくいのが特徴です。
トイレだけでなく、使用済みオムツ入れの缶にも効果的。
値段がちょい高めなので、今のところじゃんじゃん使ってはいません。じゃんじゃん使いたい状況に陥ったら、大容量の詰め替え用を買おうと思っています。
注意は、スプレー式の消臭剤を多く使うと床が滑りやすくなるので、履物に気をつけないといけないことです。
裏がゴム系で、溝があるようなものを選ばないと転倒の危険があります。私の家のスリッパも買い替えました。
何はともあれ、今どきは汚物処理グッズや消臭グッズがいっぱい売られているのでいい時代だなと。
入浴の際には、父は転倒の危険があるので、私も一緒に浴室に入って、湯船で足湯状態で見守ります。浴室が狭いので。
母は入浴の手順がわからなくなっているため、私も一緒に入浴します(同性なんでついでに自分も入ってしまえと)
母のペースに合わせて湯船を出たり入ったり身体を洗ったりしています。浴室が狭いので交代でないと無理なので。
私自身は、もとから湯船に長く浸かれないタイプのいわゆる「烏の行水」人間なので、ほとんど上半身は浸かってないのですが、浴室にいる時間だけはやたら長いので、最後、自分がお風呂を出る時にはのぼせています。
2人とも入浴動作に関しては自分で出来るので、私は軽く手伝うぐらいです。汗だくにはなりますが、介護ではなく介助なので、ラクな方だと思います。
父の頭をバリカンで刈る、母の髪の毛をカットする、母の髪の毛を染める、2人の爪を切るのも私の仕事です。
どれも基本的にはしんどくて面倒です。新聞を敷いたりして準備が必要だし。
疲れる順だと、毛染め→爪切り→母のカット→父のバリカンです。
毛染めは、狭い浴室で壁とか汚さないように気を使いながらするのですが…毎回どこかしら汚してます。あとで黒くなるのでその時にはわからないという。
それから、自分も汚れてます(エプロンとか腕カバーとかしろよという話ですけどw)
爪切りは、油断すると爪ではなく身を切ってしまうので怖いです。
一気にパチンとはやりません。悲鳴を上げないか確かめながら、爪切りの刃をゆっくりゆっくり閉じていきます。おそろしく固かったり、巻き爪だったり、爪と身がくっついていたりするので、すごい時間かかります。
母のカットは、くせ毛が酷いこともあって、長さの正解がよくわかりません。
母がこの世で執着しているのは、1位がお金で、2位が髪の毛だと思います。薄毛に悩んできたので。なので、思いきって短く切ってほしいと言うわりに、出来上がると短すぎるとか言います。結局、私が、何か切り足りないな…と感じるぐらいが、母には丁度いいみたいです。
父のバリカンが一番簡単です。短ければそれでいいみたいな。とにかく横(耳周辺)が刈り上がっていれば喜んでくれるし。
何かこだわりがあってゴミ屋敷に住んでいる特殊な高齢者は置いておくとして、一般の認知症高齢者の家がゴミ屋敷になるのは、そもそも日本のゴミ回収システムが悪いからではないかと思います。
だいたいどこの自治体でも、ゴミの分別が細かいうえにゴミを出せる月や曜日が決まっています。
親と同居していて一番思ったのは、「こうして高齢者の家はゴミ屋敷になるんだ」でした。
認知症であっても、初期であればゴミ出しができます。怪しくなってくるのは中期ぐらいからです。ゴミを出さなければいけないという気持ちはあっても、いつ出していいのかわからずに溜まっていくのです。
認知症の中期になると、明らかに月日、曜日、時間の感覚が失われてきます。すると、例えば「燃えるゴミは毎週月曜と木曜」という最もハードルが低い普通ゴミでさえ出せなくなるのです。
ましてや、「燃えない複雑ゴミは奇数月の第3水曜」などと言われても出せるはずがないのです。
なので、以前は母がバリバリやっていたゴミ出しも、今は私が担当です。
介護のイメージは、介護経験がある人とない人でかなり違いがあると感じます。
「介護」と聞くと、介護経験のない人は、身体を起こす、服を着せる、排泄処理をする、認知症の「徘徊」で大騒ぎとか、いかにもTVの介護特集で流れそうな場面を思い浮かべて、「しんどそう~大変そう~」と言います。
一方、介護経験のある人は、「家族に介護対象者がいるだけで日常すべてがしんどい」と言います。
私の両親が寝たきりではないので、体力系の仕事はなく、いまのところ認知症による徘徊もないので、介護経験のない人からすると、介護らしき行動が見当たらない。
ところが、ケアマネさんや介護経験者の人はものすごく心配してくれます。なぜかというと、家族が認知症になると、普通のことがすべて介護になることを知っているからです。
ずっと物忘れに対するフォローが必要になるし、せん妄と妄想は一度始まったら小一時間付き合う必要があります。病院に連れて行って受付するのはもちろん、医者の説明を理解できないので診察室まで付き添います。
どこにも力仕事はないけれど、ゆるくずっと介護が続きます。
介護の経験がない人は「その程度で介護なの?」と思うかもしれません。私自身も「この程度で介護してると口にすると、ガッツリ介護している人に怒られそうだ」と思います。
しかし、「家族に介護対象者がいるだけで、なんとなくずっと疲れている」という軽い状態でも、長期間続けば介護うつにつながるので、ケアマネさんもそこを心配してくれているのだと思います。
厚生労働省が「認知症の本人とともに暮らしやすい地域をつくろう」とか言っていますが、そんな夢のような話はさておき、実際には家族が認知症になると、周囲は振り回されます。
程度の差こそあれ「地獄」という表現はあながち間違いではないと思います。
どれぐらい地獄になるかは、認知症の症状(個人差が大きい)、介護の協力者がいるか、行政サービスを受けられるか、本人と家族の経済力などによって変わってきます。
でもって、お金があれば解決できるというわけではないところが、認知症介護の難しさなのだろうと。
なぜお金があってもだめなのかって?
認知症は脳が壊れる病気です。性格の変化や妄想や幻覚は、行政サービスを受けることを困難にします。
デイサービスに行くのを嫌がる、ヘルパーを家にいれることを嫌がる、施設に入所を断られる、トラブルで施設を退所させられる…
介護する家族の気が休まるのは本人がいない時だけなのに、本人が行政サービスを利用できない場合、家族の地獄度は格段に上がります。
専門家らしき人が「行政サービスを利用すればなんとかなるので、絶対に介護者は離職してはいけません」とよく言いますが、それは要支援1・2か、頑張っても要介護1ぐらいまでのような気がします。
夜間対応型訪問介護事業者がすべての市町村にあるわけではないし、訪問介護報酬引き下げの政策のせいで、小規模の訪問介護事業者がどんどん閉鎖に追い込まれています。
認知症の場合、訪問介護を受けられるかどうかが鍵になってくるので、今の日本の人手不足状態では、家族が認知症を発症したら、そう時間がかからないうちに介護者は離職に追い込まれるのが普通ではないかと。
人によってどの程度を地獄と感じるかが違いますが、お金がないと辛いし、お金があってもうまくいくとは限らないし、どう転んでもそれなりに地獄です。
私はもともと夜型です。生まれた時からのようです。夜泣きはしないがひたすら寝ない。朝になると寝て、昼まではどんなに大きな音がしても絶対に起きない赤ん坊だったらしい。この半世紀、私がいかに無理して生きてきたか。朝起きて学校や仕事に行くなど拷問でしかなかったのだ。
なので、母の妄想や幻覚につきあって明け方まで起きて昼近くまで寝る生活は、別に苦ではない。無職なので仕事に影響することもない。
けれど、午前中に病院に連れていくこともあるし、デイサービスが午後からでも昼食の準備などがあるので、正午までガッツリ寝られるわけではなく、平均するとだいたい4時間睡眠となっており、寝不足です。
生まれながらの夜型なので、昼夜が半日ズレていることが自律神経にダメージを与えているかどうかはわからないですが、睡眠不足はダメージを与えていると思います。私は夜型だけれどショートスリーパーではないので。
最近特に感じる「なんもやる気しない」は、介護ストレスと睡眠不足による自律神経の乱れのせいではないかと思います。
なんとかこの状況から脱却したいと思い、照明をタイマーにして早く寝る作戦もやってみたけれど、次の日に母に「あんた、昨日早く寝たやろ?誰か来てたで。きっと何か物が無くなってる」などと言われ、即バレしてました。
1回なら偶然ですが、毎回バレました。やはり母は「傾眠傾向(意識障害)」で、完全には寝ていないのでしょう。夜は特に不安が増大するので、常に私の気配を無意識に探っているのではないかと。
無気力は介護うつの前兆とも言われているので、どこかで夜ふかしをやめないといけないと思っているのですが…
子どもが親の介護をしないといけないという決まりはないけれど、よほど親との関係が悪い人でなければ、何らかの形で介護に巻き込まれているかと思います。
ましてや、私は同居していて親の年金にぶらさがって生活しているので、介護ぐらいしないと人として終わっている気が…
父はともかく、母は私に結婚して欲しかっただろうし孫も欲しかったと思います。
なので、母の介護については罪滅ぼしという面もあります。どうせ一人っ子には逃げ場がないし、せめて残りの人生で徳を積んだほうがいいんじゃないかぐらいの気持ちでやってます。
それでも、認知症となると自宅介護にも限界がくるのだろうとも思います。お金がないので、施設に入れるとしたら限界ギリギリになってからなのかな。でもそうなると特養の順番待ちに間に合わなさそう。
などと、親のことで考えることは色々ありますが、一番心配なのは、自分も認知症になるのだろうか?です。
同居して親の認知症の症状を目の当たりすると、「自分もこうなるのかな…」という恐怖が大きくなります。
母は祖母を介護していましたが同居ではないし、もともと何の根拠もないのになぜか「自分は絶対に認知症にならない」という自信を持っていたので、祖母の介護をしていても怖くなることはなかったと思います。
しかし私は、祖母とそっくりな状態の母を見ていると、「認知症は遺伝と関係ないとか言われてるけど、どう見ても遺伝…」とか、「これならガンが再発して人生終わる方がまだいいかも…」と思ってしまいます。
そして当然のごとく、「睡眠不足の人は認知症になりやすいらしいのに、こんなに寝てなくて大丈夫なのか私は…」とか。
あと、デイサービスで体操してくる両親より、自分の方がよっぽど運動不足です。
ダイエットしていたわけでもないのに、5年で体重が8キロ減り、でも服のサイズは変わっていない…
これは、サルコペニア(筋肉量の減少、筋力の低下)かな…ロコモ、フレイル、認知症、要介護がすぐ目の前に…何か対策しないとほんとにヤバそうです。
参考記事:サルコペニアと認知症
親の老化より自分の老化の方を心配する方が先なんじゃないかと思う今日この頃です。
以上